巻次 |
書 名 |
判型 |
頁数 |
頒価(税込円) |
送料(円) |
概 要 |
第243集 |
鶴田A遺跡U |
A4判 |
110頁 |
600 |
ゆうメール 310 |
五行川低地に位置する集落遺跡。7世紀から10世紀にかけての竪穴住居跡や、掘立柱建物跡などが発見され、同時期の大溝も存在した。鶴田A遺跡Tと同一の遺跡であり、この地域の古代集落の様相を知る上で重要な資料である。 |
第245集 |
馬門南遺跡U |
A4判 |
94頁 |
800 |
ゆうメール 360 |
佐野市所在の遺跡。第165集『馬門南遺跡』の続編。主に、古墳時代後期〜平安時代にかけての竪穴住居跡17軒を追加調査。 |
第246集 |
竜地遺跡 |
A4判 |
121頁 |
800 |
ゆうメール 360 |
鹿沼市に所在する古墳時代〜奈良・平安時代の集落遺跡の調査報告書。主要河川の右岸に位置し、氾濫原に営まれた集落にもかかわらず、竪穴住居跡29軒、土坑10基、掘立柱建物跡1棟などを確認した。特筆すべきは、切石を使用したカマドや複数カマドをもつなどに数種のパターンが認められることや、畿内産土器を出土したことなど多岐にわたる。 |
第247集 |
古橋T・U遺跡 |
A4判 |
206頁 |
1,100 |
ゆうメール 360 |
岩舟町に所在する、4世紀前半から9世紀後葉にかけての集落跡。古墳時代前期と中期の竪穴住居跡からは良好な一括資料が出土。平安時代では9世紀後葉の住居跡から、繊維が付着した紡錘車や鉤など多くの鉄製品が出土。他に『根』の刻書がある石製分錘も掲載。 |
第251集 |
大関台遺跡 |
A4判 |
480頁 |
2,400 |
レターパック 520 |
5C〜9C中葉の竪穴住居跡96軒、掘立柱建物跡19棟、円形有段遺構1基などが確認されている。遺物では「財部」の墨書が数点出土している。また、中世の地下式壙や鍛冶遺構、堀に囲まれた方形区画なども確認されている。 |
第252集 |
北の前遺跡(縄文〜古代編) |
A4判 |
452頁 |
2,400 |
レターパックライト 370 |
二分冊のうちの第一分冊(縄文〜古代編)。6C末〜10C前半の集落跡を中心に報告。竪穴住居跡90軒、掘立柱建物跡15棟等が確認されている。灰釉陶器が住居跡の柱穴中から出土している。「男」の墨書土器も数点出土。 |
第252集 |
北の前遺跡(中〜近世編) |
A4判 |
540頁 |
2,600 |
レターパック 520 |
二分冊のうちの第二分冊(中〜近世編)。方形区画が存在し、建物跡と考えられるピット群が確認されている。竪穴状遺構13基、地下式坑41基、柵列2列、溝38条、土坑488基、ピット多数。土器や砥石が多数出土している。 |
第255集 |
谷向・国谷馬場・中の内・惣宮・鍋小路 |
A4判 |
538頁 |
2,600 |
レターパックライト 370 |
下野市・壬生町所在の5遺跡の報告書。谷向遺跡では奈良・平安時代の住居跡や土坑墓が、国谷馬場遺跡では旧石器ブロックが、中の内遺跡では中世墓地跡が、惣宮遺跡では古墳中期〜奈良・平安時代の集落が、鍋小路遺跡では古墳前期の方墳が確認された。遺物では惣宮遺跡出土の新羅系土器が特記できる。 |
第265集 |
東谷・中島地区遺跡群2 砂田遺跡(1区・2区・3区) |
A4判 |
426頁 |
8,700 |
レターパックライト 370 |
宇都宮市に所在する砂田遺跡のうち、1区〜3区の報告書。縄文・古墳〜近代の遺構を掲載。古墳時代後期から平安時代にかけての集落跡が中心。3区では、古代の道路遺構(波板状凹凸面)を調査。 |
第266集 |
長田浅間塚遺跡 |
A4判 |
40頁 |
300 |
ゆうメール 310 |
真岡市に所在する近世の塚を調査。木花開耶姫を祭る浅間信仰の富士塚とみられ、天保通寶・寛永通寶などが出土。塚の構築方法を詳細に分析した。地域信仰を知る上での重要な資料を提示。 |
第272集 |
高林遺跡 |
A4判 |
178頁 |
800 |
ゆうメール 360 |
6C前葉から9C中葉頃の集落の一部が確認されている。竪穴住居跡28軒、掘立柱建物跡1棟、井戸1本、土坑93基、ピット74基。8C前葉から9C後葉の土器等を出土する、平場をもつ井戸が確認されている。 |
第290集 |
東谷・中島地区遺跡群5 立野遺跡 |
A4判 |
2分冊合計753頁 |
3,800 |
レターパック370+520 |
宇都宮市に所在する。縄文早期撚系文期の包含層と各種石器、弥生中期の土坑。古墳時代の集落は中期初頭から7世紀中葉までの93棟で、そのうち5区では73棟の集落を全面調査し、古墳中〜後期の円筒形土坑97基も見られる。確認調査では辺長12〜14mの大型住居2棟。古代の竪穴1棟と中世の方形区画溝も調査。 |
第292集 |
東谷・中島地区遺跡群6 磯岡遺跡 |
A4判 |
321頁 |
1,800 |
レターパックライト 370 |
縄文時代は草創期爪形文から晩期まで少量出土。弥生時代は中期後半から後期の土器が少量出土。古墳時代中・後期の集落は、刀装具も出土し、古墳群との関連を知るのに貴重。古代では、道路状機構・掘立柱建物群も報告する。 |
第312集 |
北原遺跡 |
A4判 |
620頁 |
2,500 |
レターパック 520 |
那須烏山市に所在し、古墳時代後期〜平安時代が中心になる荒川下流域最大規模の集落遺跡。180軒以上の竪穴住居跡や28棟の掘立柱建物跡の他、鍛冶工房跡も確認した。特に9世紀代の集落からは多量の鉄製品や、灰釉陶器、緑釉陶器が出土している。また、古墳〜平安時代の出土土器と集落の変遷、カマドの構造変化、製鉄関連遺構についても考察した。 |
第316集 |
西物井遺跡−北関東自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告XI− |
A4判 |
本文編218頁、 遺構編393頁、 遺物編168頁 |
3,000 |
レターパックライト 370×2通 |
真岡市(旧二宮町)に所在し、小貝川と五行川の間に位置する微高地上に立地する。旧石器時代から近世まであるが、検出された竪穴住居跡は、古墳時代(8軒)と、奈良・平安時代(60軒)に集中している。古墳時代前期の方形周溝遺構7基、中近世の掘立柱建物跡、火葬墓、溝状遺構等も確認されたほか、旧石器時代や縄文時代の遺物も出土した。 |
第317集 |
青龍渕遺跡・皇宮前塚 |
A4判 |
493頁 |
2,000 |
レターパックライト 370 |
鹿沼市に所在する古墳時代〜平安時代の集落跡。6世紀後葉から集落が始まり、7世紀前葉に竪穴住居跡の数が急増、8世紀から小規模になる。多く出土した編み物石、漆付着土器、朱付着土器、製塩土器等について考察され、さらに煙道の長いカマドや集落の動向等についても考察を加えている。中世では、鎌倉時代から室町・戦国時代までの区画溝が確認されている。 |
第318集 |
権現山遺跡・東谷北浦遺跡 |
A4判 |
102頁 |
500 |
ゆうメール 310 |
宇都宮市に所在する古墳時代の集落跡。権現山遺跡では竪穴建物跡6軒、東谷北浦遺跡では竪穴建物跡13軒が調査されている。竪穴建物跡から出土した直弧文線刻紡錘車についての考察がある。 |
第320集 |
西根2遺跡・小野寺城跡−北関東自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告XII− |
A4判 |
267頁 |
700 |
ゆうメール 360 |
岩舟町に所在する2遺跡の報告書。西根2遺跡は、古墳時代後期〜奈良・平安時代の竪穴住居跡7軒と、中近世の掘立柱建物跡、井戸跡等からなる遺構群で、時期は16世紀が中心である。漆器蓋・椀などの木製品が多く、同時期の縄も出土している。小野寺城跡は、13世紀代まで存続していたとされる城跡で、溝跡1条が確認されている。 |
第322集 |
五霊遺跡−北関東自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告XIV− |
A4判 |
413頁 |
1,900 |
レターパックライト 370 |
上三川町に所在し、鬼怒川低地の自然堤防上に立地している。古墳時代後期では15軒の竪穴建物跡が確認され、うち2軒は大形建物跡となる。奈良時代では、7軒の竪穴建物跡があり、この時期と推定される鉄関連遺物・耕作痕の確認が特筆される。中近世では、輸入陶磁器や国産の天目茶碗が出土した溝状遺構群がある。大形の竪穴建物跡や編み物石等の遺物について考察が加えられている。 |
第324集 |
曲田遺跡・馬場先遺跡−北関東自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告XVI− |
A4判 |
400頁 |
2,000 |
レターパックライト 370 |
曲田遺跡は、真岡市(旧二宮町)に所在し、小貝川西岸の低台地上に位置する。主な遺構は古墳時代前期の方墳1基、古墳時代中期の竪穴住居跡31軒、円墳1基である。石製模造品工房跡3軒が確認され、未製品、破損品等の工程品が多量に出土している。馬場先遺跡は、丘陵裾部に位置し、古墳時代〜奈良・平安時代の竪穴住居跡6軒や円形有段遺構4基が調査されている。 |
第330集 |
下陰遺跡 II |
A4判 |
分冊合計820頁 |
1,700 |
レターパックライト 370×2通 |
真岡市に所在する鎌倉〜戦国時代の城館関連遺跡で、方形竪穴建物跡や土坑群・区画溝など多数の遺構を検出している。八木岡城跡が調査区に接しており、城・館・市の機能が一体となった遺跡群と推察されている。中世〜近世陶磁器や、下駄などの木製品も出土。縄文時代中期〜後期の集落跡(住居跡5軒など)や、古墳時代〜平安時代の遺構群(古墳2基、住居跡3軒など)も調査している。 |
第336集 |
千駄塚浅間遺跡・粟宮宮内遺跡 |
A4判 |
312頁 |
1,200 |
レターパックライト 370 |
思川東側の台地上、小山市に所在する遺跡で、小さな谷を挟んで西側の千駄塚浅間遺跡と東側の粟宮宮内遺跡両者にかかる調査の報告。今回調査区の南側に当たる千駄塚浅間遺跡の小山市教育委員会調査区では古代寒川郡の官衙遺構が確認されている。千駄塚浅間遺跡は、古墳時代中期から集落が営まれ、古代の円形有段遺構、中世の区画溝等が確認された。粟宮宮内遺跡では、古墳時代後期から集落が始まり、古代の鍛冶関連遺物多出遺構、近世の土坑等が確認されている。 |
第337集 |
東谷・中島地区遺跡群11 砂田姥沼遺跡・砂田瀧遺跡 |
A4判 |
350頁 |
1,000 |
レターパックライト 370 |
砂田姥沼遺跡は、宇都宮市南端の低台地に所在する古墳時代〜平安時代の集落跡である。古墳時代集落としては、東谷・中島地区で最も古い古墳時代前期の竪穴建物跡が2軒あり、うち1軒からは土師器と弥生土器の共伴が確認された。古墳時代後期の竪穴建物跡27軒・方形周溝遺構1基、奈良・平安時代の竪穴建物跡3軒などの他、古墳時代終末期〜奈良時代にかけての流路に伴う通路状遺構5基を調査している。砂田遺跡に隣接する砂田瀧遺跡では、中近世の遺構群が調査されている。 |
第347集 |
上金枝T遺跡・上金枝U遺跡・山の神U遺跡 |
A4判 |
104頁 |
650 |
ゆうメール 310 |
3遺跡はさくら市に所在し、江川に面する低位段丘面に立地する。県道建設に先立って行われた調査の報告である。上金枝T遺跡・上金枝U遺跡では中世以降と思われる掘立柱建物跡・溝・土坑などが確認された。山の神U遺跡では、古代の竪穴住居跡1軒が確認された。また中世と思われる土坑や小穴も見つかっている。 |
第348集 |
上金枝T遺跡・上金枝U遺跡・上金枝V遺跡 |
A4判 |
120頁 |
750 |
ゆうメール 310 |
3遺跡はさくら市に所在し、江川に面する低位段丘面に立地する。本書は圃場整備事業に伴って行われた調査の報告である。上金枝U遺跡では、古墳時代前期の竪穴住居跡、古代の竪穴住居跡、中世以降の溝、井戸、土坑が見つかった。上金枝V遺跡では、古墳時代前期の竪穴住居跡、中世以降の溝、井戸、土坑などが確認された。 |
第349集 |
仲内遺跡2 |
A4判 |
171頁 |
800 |
ゆうメール 360 |
仲内遺跡は日光市に所在し、湯西川源流域の右岸段丘上に立地する。湯西川ダム建設に伴う調査で、第296集『仲内遺跡』で示した調査地点の隣接地である。竪穴住居跡4軒、土坑96基などが確認された。第1次調査地点とあわせた住居跡の総数は27軒となり、縄文時代中期後葉を主とした時期の「環状集落」と言える。中期後葉の住居跡では複式炉が付設されるものも多い。出土土器では早期中葉から認められ、出土量の多い中期では新潟県地方や福島県地方の土器と共通するものも多い。 |
第350集 |
和田遺跡−北関東自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告XXI− |
A4判 |
575頁 |
2,300 |
レターパック 520 |
和田遺跡は足利市に所在する。主に、古墳時代後期〜平安時代の集落跡で、竪穴住居跡94軒を確認。遺物では、三足土器、灰釉陶器、瓦などの他、瑞花双鳳八稜鏡の出土が注目される。木製品として柱材・礎板の出土もある。土師器焼成遺構4基が確認され、土師器未製品・失敗品も出土した。他に、縄文土器(早〜前期)・弥生土器(中期〜後期)の出土や掘立柱建物跡などの中近世の遺構も認められた。 |
第355集 |
東谷・中島地区遺跡群13 砂田遺跡(10区・12区・13区・16区・27区) |
A4判 |
308頁 |
1,400 |
レターパック 520 |
宇都宮市に所在する砂田遺跡のうち、10区〜13区・16区・27区の報告書。遺跡の中央付近を南流する川以東の地区のうち、北西の一部である。古墳時代中期から平安時代にかけての集落跡が中心で、本書では、竪穴建物跡47棟、掘立柱建物跡14棟などを報告している。古墳時代中期後葉の鍛冶工房と推測される遺構も確認された。 |
第358集 |
小鍋内T遺跡・小鍋内U遺跡 |
A4判 |
359頁 |
1,200 |
レターパックライト 370 |
さくら市に所在し、江川西岸の段丘縁辺部に立地する。小鍋内T遺跡は、古墳時代中期から後期前半の土師器にベンガラで赤彩するものが目立ち、顔料を入れた小型土器も出土した。小鍋内U遺跡は、小鍋内U遺跡の南に隣接し、古墳時代後期から平安時代前半にかけての集落跡が確認され、9世紀〜10世紀代の掘立柱建物跡も確認された。 |
第361集 |
東谷・中島地区遺跡群15砂田遺跡(7〜9・11・14・15・17・20〜22・25・26・28〜42区) |
A4判 |
本文編773頁、写真編237頁 |
4,200 |
ゆうパック870~1350 |
宇都宮市に所在する砂田遺跡のうち、7〜9・11・14・15・17・20〜22・25・26・28〜42区の報告書。古墳時代中期に集落跡の形成が始まり、権現山遺跡の豪族巨館跡との関連が推測される。7区低地からは、古墳時代から中近世までの遺物が出土しており、祭祀も含めた低地の利用が想定されtる。奈良時代に集落が発展し、九十九瀬川西岸の掘立柱建物群に対応するかのように東岸に沿って多数の建物跡が作られている。また、平安時代の瓦塔を持つ仏堂の存在も想定される。 |
第362集 |
東谷・中島地区遺跡群16 西刑部西原遺跡(古墳・奈良・平安時代編) |
A4判 |
608頁 |
2,800 |
レターパック 520 |
宇都宮市に所在し、田川東岸の体台地上に立地する。古墳時代中期末から後期週末の竪穴建物跡68棟などを確認し、鳥似た線刻のある須恵器のほか、北武蔵系の土師器坏や東海産の須恵器瓶類、銅地金張の鐶付足金物等が出土している。奈良時代は、竪穴建物跡や掘立柱建物のほか円形有段遺構が3基、道路状遺構の一部を確認した。また、刻書のある須恵器や新羅土器椀、湖西産の須恵器等が出土した。平安時代は、製塩土器や南比企産の須恵器坏等が出土している。 |
第364集 |
下野国分尼寺U |
A4判 |
340頁 |
1,300 |
レターパックライト 370 |
伽藍地東側の仮設堂は瓦葺きの仮金堂で、宇都宮市の水道山窯や三毳山の窯から瓦を供給していたことが判明した。9世紀には、郡名瓦もなくなり、国による関与が強化されたと推測できる。9世紀前半には、主要堂宇の改修か再建がなされ、同第3四半期には、伽藍地の区画を掘立柱塀から築地塀に造り直され。、東側・北側に竪穴住居等が展開する。9世紀第4四半期には、主要堂宇の補修が行われ、10世紀中葉まで法灯が続いたと考えられる。 |
第369集 |
北ノ内遺跡・助五郎内遺跡・星ノ宮遺跡 |
A4判 |
2分冊合計404頁 |
2,800 |
レターパックライト 370×2通 |
北ノ内遺跡は市貝町に所在し、小貝川左岸の丘陵上に位置する。縄文時代中期の阿玉台式期の竪穴建物跡と袋状土坑が確認された。古墳時代から平安時代の竪穴建物跡が多数確認されたほか、9世紀後半の四面廂建物を中心とする掘立柱建物跡が確認され、豪族居宅と考えられる。「槻本」「井上」「目」等の墨書土器のほか、タヌキと思われる獣足跡のついた須恵器坏蓋が出土した。
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第370集 |
緊急雇用創出事業 西向遺跡 |
A4判 |
20頁 |
250 |
ゆうメール 215 |
宇都宮市に所在し、鬼怒川左岸の段丘上に位置する。平安時代の竪穴建物跡溝跡、墓壙、土坑が確認された。「慶慶」の墨書を持つ土師器坏や土錘などが出土した。笹塚古墳は、周溝が確認されず、供養塚などの可能性が高い。 |
第373集 |
市ノ塚遺跡 |
A4判 |
307頁 |
1,200 |
レターパックライト 370 |
真岡市に所在し、小貝川右岸の真岡台地縁辺に位置する。旧石器時代から中世にかけての遺物が確認されている。縄文時代では、早期前半の稲荷台式や天矢場式土器、中期初頭の五領ケ台式土器が多量に出土している。古墳時代は、前期から中期を中心とした竪穴建物跡が確認されている。中世は、区画溝と思われる2条の大溝や掘立柱建物跡、井戸等が確認され、近接する高田専修寺に関連した集落跡と考えられる。 |
第375集 |
野高谷薬師堂遺跡 |
A4判 |
598頁 |
2,400 |
レターパック 520 |
宇都宮市に所在する中・近世の大規模墓地である。遺跡は埋没谷の谷頭に立地しており、スリバチ状の窪地とそれを取り囲む微高地からなっている。中世墓地は窪地に形成され区画溝に囲まれており、地下式坑、井戸、竪穴遺構、土坑等が確認された。その規模から複数のムラが経営する「惣墓」と考えられる。遺跡は、調査時点まで薬師堂を中心とした現代の墓地が営まれており、中世以降、近世から現代まで墓域として使用されていたと推定される。 |
第378集 |
岩舟台遺跡 |
A4判 |
344頁 |
1,500 |
レターパックライト 370 |
大田原市に所在し、那珂川の西岸に位置する。縄文時代の複数の土坑を確認し、集落内の土坑エリアと考えられる。遺物は前期〜後期後葉の土器、石器等が出土した。また、市指定の岩舟台古墳群を構成する未確認の古墳が確認された。全容は不明だが、埋葬主体は割竹形或いは舟形木棺を確認し、1基からは、鉄刀と束状の鉄族が出土した。 |
第393集 |
ホクチャ遺跡 |
A4判 |
50頁 |
700 |
ゆうメール310 |
佐野市の三毳山麓窯跡群の西端にあり、近距離で瓦窯も操業され、窯業に従事する工人の集落と推定される遺跡の西端を調査した。8世紀末から9世紀の竪穴住居があり、小規模で閑散とした景観。9世紀第2四半期の住居跡から出土した三彩陶器の托に伝世期聞が考えられ、県内では窯業の工人集落出土三彩托は初出で、製作見本の様として官衙から渡ったと判断した。15~16世紀の堀・溝は、15世紀後葉移封してきた藤岡氏、その後は佐野氏家臣の大貫氏の居城である黒袴藤岡城跡の西端と推定した。
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第394集 |
松の木遺跡・山神塚 |
A4判 |
58頁 |
500 |
ゆうメール310 |
鹿沼市の黒川左岸の台地上に所在する。古墳時代中期末葉から後期後葉の竪穴建物跡が9軒確認された。その建物跡付近で確認された2基の円筒型の土坑は、屋外貯蔵穴と考えられる。台地縁辺部から方墳が1基確認され、中期末から後期初頭の墓域が存在していた可能性もある。山神塚は、盛土の状況等から近世以降の塚と考えられる。
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第397集 |
平出城跡 |
A4判 |
224頁 |
1500 |
ゆうメール360 |
宇都宮市に所在し、宇キ宮城との距離からみて宇キ宮氏直轄領の地域領主の城館で、結城勢など東からの軍事的な防御を担った支城と考えられる。外堀や、馬屋と考えられる長大な掘立柱建物跡、方形竪穴遺構・地下式壙・井戸などを調査。15世紀中葉から後葉に始まり、16世紀を盛期で、その末になくなるが、堀は18世紀前葉まで機能した可能性が高い。土師質土器小皿・内耳土器・中世陶器・近世以降の陶磁器、土人形・土鈴・石臼・五輪塔・砥石・鉄釘・寛永通寶・天保通寶・石臼が出土。
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第398集 |
酒野谷原塚 |
A4判 |
28頁 |
300 |
ゆうメール310 |
鹿沼市の大芦川沿岸の微高地にある隅丸方形状の塚。江戸時代に構築されたと推定される。塚の南側では地山に石敷きをしたうえで盛土をする。北側は地山を削平し、円弧状に2重に石組を組んだうえで盛土をする。中心部はきめの細かい川砂を主体に盛土している。西側裾部には、20〜50cm大の河原石の側面を交互に積んだ石組が現堤防に平行してあり、塚とほぼ同時期の護岸施設の可能性が高い。
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第400集 |
二条城跡 |
A4判 |
34頁 |
400 |
ゆうメール215 |
栃木市の足尾山地東端に位置する山城の一部と、北西部の西方城とを隔てる北側の支谷を調査した。二条城の曲輪を2ヶ所検出したうちの1ヶ所から直線状に並ぶピット群を確認し、搦め手門かそれに相当する施設に付随する防御施設の柵列と推定した。出土したかわらけと内耳土器は15世紀から17世紀頃の範囲に収まると考えられ、16世紀前後が多い。陶磁器や砥石も出土した。
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