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食べ物争いはなかったの??おしえてください!

小学生 テマさん

ご質問ありがとうございます。
 これは、ちょっと難しいご質問ですね〜。
 今でも兄弟の間で、食べ物が原因のケンカはありますよね。だから、小さな食べ物争いはいつの時代もあったことと思います。また、戦争規模の食べ物争いは・・・多分、あったと思います。
 ニホンザルの集団行動を研究した結果によると、ニホンザルが競争する目的には、自分の子孫を残すことであると言います。特に、群れが大きくなれば、他の群れに対する対抗能力が大きくなるとされます。しかし、群れの頭数増加は、食料確保のため活動範囲の拡大も必要とします。そこで、隣接する他の群れとの争いが起こり、他の群れを消滅させてしまうこともあるようです。
 これが、人間社会におきかえられた場合、集団が大きくなればなるほど、争いの次元から戦争の次元に発展することとなります。
 縄文時代には戦争がなかったと言う説とあったという説があります。たしかに、縄文時代のはじめのころ(草創期)の愛媛県上黒岩洞窟からは、骨製先の尖った道具が刺さった男性の腰の骨が出土しています。そして、以後、縄文時代の各時期に矢尻が刺さった人骨が見つかっています。しかし、縄文人骨の全体からは、極少数であり、これを争いとするか、事故と考えるかは研究者によって違いがあります。つまり、戦争と考えるほどの証拠は不十分なのが縄文時代です。
 ところが、弥生時代に入ると、戦いの証拠が格段に増加します。特に弥生時代のはじめの頃の北部九州では、武器で殺された多くの人骨が、一箇所にまとまって見つかったりします。弥生時代を戦争のはじまりの時代と言う人もいます。
 その戦争の原因は、人口増加にともなう開発によるもので、土地や水などの資源をめぐる争いと考える研究者は多いようです。これは言いかえれば、食料争いです。直接的に今日の晩ご飯を食べるというものではなく、今後、何年分の食料を蓄えるというのも、結局は食料確保の問題ですから、戦いの理由のひとつには、間違いなく食べ物の争いがあったと言えます。
 考古学は、遺跡や遺物などの、残されたモノから、色々なことを考える学問です。ですから、食べ物はくさってしまい残っていないことが多いので、直接的に食べ物が原因で、争いがあったことは証明できません。しかし、様々な角度から考えて、弥生時代の戦争の理由には、食べ物の確保があり、その後、日本で行われた争いの中には、同様の理由によるものがあったと言えると思います。

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