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縄文時代はどんな暮らしをしていましたか?

小学生12歳 おみさん

縄文時代は、植物採集、狩猟(狩り)、漁撈(魚とり)によって食べ物を得ていました。本格的な農業はまだはじめられていなかったと考えられています。主な食べ物は、木の実など植物質のものであったようです。クリ、クルミなどのほか、ドングリ(シイやカシの実)やトチの実などを食べていました。クルミやクリはそれほど手をかけなくても食べられますが、ドングリ類は水にさらしたり、煮てシブを抜きます。また、トチの実は、水にさらしたうえ、灰を加えて煮て、アクを抜いたようです。各地の縄文時代の遺跡から、水さらし場のあとがみつかっています。まら、ドングリやトチを煮るのに欠かせない道具が、縄文土器なのです。縄文時代になる前(旧石器時代とよばれる時代)には、土器がありませんでしたから、ドングリやトチなどは食べることはできませんでした。物は煮ることができず、生で食べるか、焼くしかありません。食べられる物の種類も非常に少なかったようです。縄文土器が使われるようになったことは、日本列島での人間の歴史において、非常に大きな意味をもっています。
 日本列島は春夏秋冬の季節がはっきりしています。各季節によってとれる食べ物もちがってきます。縄文時代の人々は、季節ごとにとれる食べ物をたくみに組み合わせていたようです。しかし、それだけでは1年を通じてじゅうぶんな食べ物を確保することは難しいです。そのために、食べ物の「貯蔵」ということを行っていました。特に、木の実類は秋にしかとれません。これを貯え、食べ物の無い時期に食べていました。縄文時代の遺跡から、木の実を貯えた貯蔵用の穴が発見されます。このように、縄文時代の人々は、季節ごとの食べ物を組み合わせ、さらに貯蔵を行うことによって、豊かな食生活を送っていたと考えられています。
 縄文時代の人々は、食べ物を探して移動していたのではなく、一カ所にムラを作って住んでいました。縄文時代の家の中で代表的なのは、「竪穴住居跡」と呼ばれる、地面を掘りくぼめ、屋根をかけたかたちの家です。こうした家が中央の広場を取り囲むように、丸く配置された大きなムラの跡も見つかっています。
 鉄や銅などの金属の道具は使われていませんでした。道具類は、石、動物の角や骨、木などで作っていました。なかでも、石で作った「石器」は、縄文時代の遺跡から数多く発見されます。狩りの時の弓矢の矢につける石のやじり、木を切ったり加工したりする磨製石斧、木の実を粉にする石皿、擦り石、土掘り具の打製石斧などさまざまな物があります。魚をとるヤスやモリ、釣り針はおもに鹿の角で作っていました。木をくりぬいて作った器もありました。また大木をくりぬいた独木舟も使っていました。
 植物の繊維を撚った糸があり、これを編んだ布もありました。衣服はこの布を使っていたと考えられています。必ずしも毛皮だけではなかったようです(夏は暑くて毛皮は不向きと思われます)。
 縄文時代の人々は、自分のムラの周囲だけですべての物をまかなっていたわけではありません。場合によっては、遠いところの物を物々交換によって得ていました。やじりの原料となる黒曜石は、長野県や伊豆七島の神津島などから運ばれてきます。ヒスイで作った玉は、新潟県糸魚川から全国に運ばれました。その他オオツタノハおよばれる南の海でしかとれない貝で作った腕輪も縄文時代の遺跡から見つかっています。
 縄文時代には、高度に発達した技術があったことも判っています。前に述べたヒスイの玉ですが、ヒスイは最も硬い種類の石であるにもかかわらず、鉄がなくても穴をあけています。日本に伝統的な漆ぬりの技術も縄文時代に開発されました。土器や木の器、あるいは編み物に漆をぬったものが発見されています。

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